2015年04月03日 わたぼうし
今年の3月で父が亡くなって10年になりました。
節目なので、少し父の事を書いてみようと思います。
私は看護師になって14年目ですが、父が食道癌で予後半年と診断された時はまだ3年目でした。急性期の病院に勤めていた事もあり、どのような症状がでてくるのか、どのように対応すれば良いのか、どこに協力を求めると良いのか、看護師でありながら分かりませんでした。姉も看護師ですが、沖縄で勤務していたため、相談はできても実際に動けるのは私だけでした。
父は食道が徐々に狭くなり、ご飯が食べられなくなり、弱っていきました。私にできた事は点滴を持ち帰っては、休日や日勤の後、又は日勤と夜勤の間に点滴をする事ぐらいでした。予後も分からず、介護休暇をとるべきかの判断もできず、心身共に限界に来ていました。
ようやくホスピスを思いつき、すがりつくような気持ちで面談に行きました。医師からはすぐにでも本人を連れてくるようにと言われ、相談できる所ができたと少し安堵した気持ちで父の居る家に向かいました。途中で沖縄の姉から電話が入り「父が苦しがっているから急いで!」との事でした。急いで行くと父はコタツに寝転がったまま息をひきとっていました。
往診もしてもらっていなかったため、救急車で蘇生をされながら病院に運ばれました。蘇生はしなくてよいと伝えましたが、医師の指示なしでは救急隊も止める事ができず、辛い時間が過ぎました。
父が亡くなった後、家を片付けに行きました。父の寝室には尿の入ったビニール袋がいくつも、登山用の携帯酸素が数本転がっていました。トイレに行くのも大変なくらいに弱り、息も苦しかったのでしょう。私の負担を考えてか、父は何も言わず、私も余裕がなかったので十分に父の苦しさを聴けていませんでした。
父の死後1年経って、今のわたぼうしに就職し、そして9年が経ちました。いろいろな事を学ぶたび、知るたびに、父の時に何もできなかった事を何度も後悔しました。今の私なら、あんな事もこんな事もできるのに。父の苦痛を減らすために、私自身もサポートが受けられていたら、父といろいろな事を語れたのにと思います。
今では訪問看護も訪問介護も、往診もだいぶん知られるようになってきましたが、ほんの10年前、看護師でもよく分からなかった人がまだまだ居たと思います。もしかすると今もどうすれば利用できるのか、自分達は対象だろうかと思っている人が居るかも知れません。訪問のサービスを多くの人が適切な時期に利用でき、少しでも苦痛が少なく、家族もサポートを受けながら、最期の時間をより穏やかに過ごせたら良いなと願っています。
もりもっちゃん